Sunday, July 23, 2006

Rainy Night in Georgia


スーツケースを置いてたたずんで
夜を過ごせる暖かい場所を探す
ひどい雨が降っている
君が「大丈夫」と呼んでいる声が聞こえるように

ジョージアの雨の夜
ジョージアの雨の夜
世界中で雨が降っている様に
世界中で雨が降っている様に

ネオンが光っている
タクシーもバスも夜を通りぬける
遠くの列車の音は
夜に向かう悲しいリフレインみたいに

ジョージアの雨の夜
ジョージアのこんな雨の夜は
世界中で雨が降っていると信じてしまう
世界中で雨が降っている気がする

何度思ったことだろう
でも結果は同じ
どんな風に見ようと考えようと
これが人生だしこうやって行くしかない

貨物列車の中で居所を見つけた
だから暇つぶしにギターを取り出す
眠れない夜更けは
君の写真を胸に抱くとほっとする

ジョージアの雨の夜
ジョージアの雨の夜
世界中で雨が降っている感じがする
すこし淋しい
世界中で雨が降っている

孤独になったことがあるだろうか
この男の住む世界では
雨が降っている感じがするだろう
雨が降っている
雨が降っている
雨が降っている


ずっと雨、ブルック・ベントンの雨のジョージアが無性に聴きたくなった。
1970年の作品。

今流している曲
Rainy Night in Georgia / Brook Benton

Friday, July 21, 2006

mixi疲れ


-以下、ウェブにあった記事-


「mixi疲れ」を心理学から考える

SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)「mixi」で頻繁に日記を書き、多くの「マイミク」と交流している人が、コミュニケーションに疲れ切ってmixiを突然辞めてしまう――「mixi疲れ」とでも呼ぶべきこんな“症状”が、一部のmixiユーザーに見られている。

自ら好んでmixiに参加し、コミュニケーションしているはずなのに、辞めたいほど疲れてしまうのはなぜなのだろうか。SNSのコミュニケーション心理に詳しい野村総合研究所上席研究員の山崎秀夫さんに聞いた。

●やめられない、止まらない

「日記を書いてから5分以上レスが付かないとそわそわします。病気かもしれません」――mixiユーザーの中村初生さんは自らを「mixi依存症」と認め、2004年のある日記にこう書いた。当時の中村さんは、ほぼ毎日日記を書き、友人からのコメントにも欠かさず返事していた。

mixi日記は、ユーザーによっては、一度書き始めると止められなくなってしまう。日記へのコメント機能やアクセス履歴を表示する「あしあと」機能が、ユーザーに「快感」を引き起こさせるためと、山崎さんは説明する。

自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。

加えて「好意の返報性」も働く。人から受けた好意に対して同じだけの好意を“お返し”し、心のバランスを保とうとする作用で、mixi上では、自分のページにあしあとをつけたり、日記にコメントをつけてくれた人に対して、あしあとやコメントを返そうとする行為として現れる。これによって相手にも好意の返報性が働き、自分の日記にコメントやあしあとが付きやすくなるため、応酬がエスカレートしていく。

つまり「コメント欲しさに日記を書く」→「コメントが付いて嬉しくなる」→「コメントをくれた人の日記にもコメントを返す」→「自分の日記へのコメントが途絶えると、コメント欲しさに新たに日記を書く」──というサイクルが際限なく続くのが“mixi日記中毒”の正体と言える。

●マイミクは「社章のようなもの」

友人同士をリンクで結ぶ機能「マイミクシィ」(マイミク)が、この応酬をさらにヒートアップさせる。ユーザーは、別のユーザーにリンク申請して承認されると、自分の「マイミクシィ一覧」上に相手が表示される。マイミクはいわば、友人である証だ。

山崎さんは「マイミクは、社章のようなもの」と言う。社章を付けた人は、その会社の社員であることを強く意識し、社員としてのふるまいを強化する傾向があると考えられている。A社の社章を付けた人は、より「A社の社員らしくふるまおう」と意識するといい、社会心理学で言う「役割効果」が発揮される。

マイミクも役割効果を持っているという。マイミク登録・承認することにより、「私はこの人とマイミク(=友人)なのだから、友人らしい振る舞いをしなくては」と意識するためだ。

mixi上では、あしあとを付けたり、日記にコメントすることが友人らしいふるまいとなる。少数のマイミクだけと付き合っている間は問題ないが、見知らぬ人や1度きりしか会ったことがない人など「にわか友達」をマイミクに加え始め、全員のページにあしあとやコメントを付ける――という作業を繰り返していると、だんだん無理が出てくる。

見知らぬ多数のマイミクと親しく振る舞おうとする努力は、飲食店店員の笑顔のようなものという。当初は、少ない客に対して心からの笑顔を見せていた店員も、客が増えて忙しくなるにつれ、笑顔が義務化し、笑顔を作ることに疲れ、ストレスをためてしまう。関係が薄いマイミクにあしあとを付け、コメントを付けては疲れるという“mixi疲れ”の症状も同じ構造だ。

●“mixi疲れ”から抜け出すには

mixi疲れから脱却するためにはどうすればいいのだろうか。山崎さんは、(1)mixiは土日だけしか使わない、といった自主規制ルールを決める、(2)マイミクの数を整理する、(3)会ったことがないマイミクと会う機会を作り、自分と合う人か見極める――といった解決策を提案。最終的には、ユーザーの精神的な自立が必要と説く。

とはいえmixiは、職場や近所などリアルなコミュニティーの付き合いが希薄となった現代で、その枠を超えた“社交”を可能にし、日々のストレスをいやしてくれるツール。その意味では「国民栄誉賞もの」と山崎さんは評価する。

mixiをコミュニケーションツールとして気持ちよく使うためには、依存からの脱却は不可欠だ。米国で9000万ユーザーを集めるSNS「MySpace」では、SNS依存についての議論が始まっているという。日本でも、真剣に考えるべき時が来ているのかもしれない。



先日、友人からmixiをやっているの?? ...と聞かれた。
もちろん変事は〝No〟
元来、流行りや皆がこぞってやっている事をするのが嫌いな性分。

リバプールでビートルズに由来のある所をまわる、〝マジカルミステリー・ツアー〟に無理やり彼女に参加させられた時も、ガイドが皆を引き連れ右に行けば僕は一人左へ行き、誰も目もくれない物に興味を持っては写真を撮っていた。
そんな僕を彼女はアナタらしいと云い、バスから眺め笑ってはいたが...

まぁ、mixiであれ普通のブログであれ、この様な症候群は多く居るのでは??
先進国というか、都会の病気の様にも思う。

Tuesday, July 18, 2006

initiation or meditation


イダキの音をメディテイションする時に使ったり、ヒーリング効果として聴くという方々は世界中に結構いるだろう。
だが、このメディテイションとかヒーリングなどという言葉は最近日本でフューチャーされだした、言わば新しい音に対しての考えではなかろうか??

僕もつい最近まで...
「この楽器はヒーリング効果があると言われ、治療の一環で使われる事もあるんだよ。」
と、人に云っていた時もあったが、今ではそんな説明はしない。

それは、〝ホワイト・カカトゥー・パフォーミング・グループ〟のダリルのインタビューで、
「アボリジニはイニシエーションにマゴを使うが、メディテイションには使わない。」
と云っていたのを読んだのがきっかけだった。

イニシエーションとメディテイション、言葉の響きは似ているが意味は全然違う。

イニシエーションとは...
入社式または加入礼とも呼ばれる、通過儀礼の一つ。
外部の人間が新たに共同体に加入する時、しばしば苦痛を伴う儀式の洗礼。
成人式・入社式はその一形態。

メディテイションとは...
瞑目もしくは半眼で、想念を独特の落ち着いた状態にすること。
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと。

どちらも精神的という所では共通しているが、その内容の違いはあからさまである。

ちなみに、ヒーリングとは...
いやすこと。いやし。治療。治癒。特に、ストレスなどで病んだ現代人の心身をいやすこと。

アボリジニはイニシエーションで使用し、ノン・アボリジニはメディテイションやヒーリングで使用する。
なぜ、その逆は無いのだろうか..??
その逆?? そんな事はありえる訳がないだろう。

イニシエーションで使用するという事は、それ即ち、その文化を知り、その歴史を知り、何よりも血筋を必要とするのだから、異文化の人々は真似事は出来てもそれ以上にはならないだろう。

それは、日本で云う「武士道」とか「茶道」などで使う「道」の意味を外人が理解出来るのか??
というのに近い意味合いがある...
日本人でも上手くは云えないが、でも、それは日本人という血統が有るからこそ理解できるイメージみたいなものが、イニシエーションにあるのでは...