Friday, June 02, 2006

悪友、再会。 -其ノ三 完-


小さい町なので、又すぐにバザールでジャパニーに会った。
...いつもの口調で話かけてくる。
「スミマセン、チャイ ノミマスカ?」
いつもなら見知らぬ人から飲み物や食べ物を頂くのは丁重にお断わりだが、(なぜなら、睡眠薬入などで物を取られたり、最悪は命の時がある。)
ビジャイさんからジャパニーの話も聞いているし、顔を見ても〝ワル〟ではなかったのでお言葉にあまえ頂いた。

その時だろうか??
僕の母に会っただの、弟を知っているだの、妹とはよくヒンディーで話しただのと彼が語ったのは...。

確かにオフクロは僕達3人がインドへ渡った2年程前、娘と息子(妹と弟)を連れインドに来ていた。
約9ヶ月という期間のうち、最も長い間滞在していたのはここラジギールだった。
ジャパニーはその時に私たち家族の事を知ったみたいで、特に一番ヒンディーを流暢に話す妹とはよく話をしたみたいだった。
話しの内容もつじつまが合っていたし、人を疑うのにもそろそろギヴアップ気味だったせいか、チャイを呑みながら仕様もない話しをし、二人で笑ったのを憶えている。

時折、話しの途中でビジネスがはいる。
「ナニカイルモノ、アリマスカ??」
「いるもの?? ないなぁ~。」
「ナニカ イルモノアッタラ ユッテクダサイネー。」
「だから!! ないって...」
「...ワカリマシタ、スミマシェンネ。」
...こんな感じ。(笑

そう...
この時の旅ではチャイ飲み友達ていどの付き合いだったが、つぎ彼女と訪れた時は酒飲み友達になって、一人ラジギールに1ヶ月ほど滞在したときは、僕達ファミリーの事をよく知る良き理解者で、インド人の親友となるなんて考えてもみなかった。

このジャパニーが、僕のラジギール生活の中での〝キーマン〟で、シッダルタホテルの連中がヤキモチをやく位いつも一緒にいたのだ。
彼が居なければ、最下級の人達と仲良くする事も出来なかったろうし、見知らぬ人の結婚式に呼ばれる事も無かっただろう。(その話は後日)
一辺道りのツーリストと見られず、ココが好きで滞在し、インド人化していると近所の人達に思われ、地に根付いた生活を送れたのもジャパニーが居たからだった。
お蔭でいい写真もいっぱい撮れたし...

ホテルの門番のオッチャンなんかは、毎日僕の顔を見るやいなや、
「ジャパニー、ヒンドゥースタニー!!」(日本人だけどインド人!!)
とサングラスをしたまま、安いプラスティックのイスに踏ん反り返って、偉そうに云ってくる。

このオッチャン、ビジャイさんが来た時なんかは直ぐにイスから立ち上がり、ずっと立って門番してました的パフォーマンスし、あたかもゲストとは口なんか聴いてませんみたいな態度をするが、ボスが居ない時はいつもこうだった。
そんな光景を見ているので滑稽(こっけい)で笑いそうになるが、
「ダンネバード!! ダンネバード!!!」(ありがとう、ありがとう!!)
と合掌してやり過ごす。
憎めない、アジのあるオッチャンだった。

マネージャーのサンジャイとは歳は余り変らないが、僕よりオトナだったので何も云わず面倒を見ていてくれたが、その下にいる〝ラッタン〟はその時はまだ子供で、僕のことを兄貴と呼び慕ってくれていただけに、ジャパニーが僕の宿まで夕方やって来たら、
「今晩もジャパニーとお酒ですか~??」
なんて、イヤミな憎たらしい云い方をしてきた事もあったが...

いまじゃ、この二人もジャパニーも結婚を済ませ、子供までいる次第。
全然変らない僕は、そんなニュースを聞き、時の流れを感じている。


あれから、10年... はやいなぁ~...


そういばビジャイさん、ラジギールで結婚しろって云ってたなぁ...
インド人の嫁はんとゆかいな仲間たち......in ラジ・ギール。 

....マンガやん!!! ( ̄□ ̄;)!!


今、流している曲
祈り / Vions

ラジ・ギールのみなさんに愛をこめて...

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